2009年03月24日

定額給付金を、どう使うか

22日の日経新聞朝刊のコラム「春秋」に定額給付金の使途が明記されていた。筆者はNPO団体のホームページや経済学者のブログを例に出し、寄付を提案している。

他人や社会のために使うという選択肢を加えれば、楽しみの幅も広がる。

年収1千万円以上の筆者にとっては、そうかもしれないが、1日働いて1万円稼げるかどうかも儘ならない庶民には、そんな選択肢はあるまい。

第一、寄付というのは気持ちの問題であって、マスコミを通して公言したうえで行うものではないだろう。また寄付してやっているという上から目線が行間からヒシヒシと伝わってくる。

カップヌードルは400円ぐらいという麻生発言をバッシングしていたが、同じぐらいの金額だと思っていた新聞記者も多いのではないだろうか。

アメリカではAIG幹部らの賞与に90%課税する法案が可決されたが、日本も消費税をあげる前に賞与累進課税を進めるべきである。

そもそも非正規雇用者には賞与という概念すらない。それに対して賞与300万円の社員(トヨタ自動車など)は90%課税されても30万円残るのだ。大手マスコミの中には、もっと高給取りもいる。たった12000円で大騒ぎする前に、もっと問題視するべきことがあるはずだ。

さて自分自身の定額給付金だが、もちろんしっかりと受け取る。景気対策のためのバラマきなのだから使ってこそナンボだ。

では何に使うのか?

およそ1ヶ月後に実施予定の内定者祝勝会予算の足しにさせてもらう。もちろん参加費を1円でも安くするためだ。私が1杯500円のビールを24杯飲むためではない。そこは前もって断っておく。スポーツ選手やプロレスラーではないのだから、さすがに10リットルも飲めるわけがない。

最後に一言。

いつもお世話になっている「マスコミ就職のめるまが」に「受講生募集はじめました。冷やし中華ではありません」という一行広告を出した。すると「冷やし中華は、いつ始めるのですか?」という問い合わせがあった。TNSはそば屋ではないので、冷やし中華ははじめません。あしからず(笑)
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2009年03月14日

感情表現の最上級ってなんだろう

オフィス街に敷き詰められたコンクリート。その隙間から、ひっそりと芽を出す雑草。ともすると、心無い人に踏み潰されてしまうかもしれない。それでも懸命に生きようとする。その逞しさたるや、今の若い人に見習ってもらいたいものがある。

書店に行くと自己啓発本が所狭しと並べられ、自分の生き方を、これでもかと言わんばかりに推奨する。まるで自己弁護をしているかのようで痛々しい。いつから日本人は自己主張の塊になってしまったのだろうか? 奥ゆかしさこそが日本人の美徳ではなかったのだろうか?

最近の人は「謙虚」という二文字を、どこかに忘れてきてしまっている。頑固で意地っ張りで傲慢だ。みな揃いも揃って「負けず嫌い」をアピールしたがる。今の社会が何かにつけて「勝ち組」「負け組」と評するから、それも時代の流れかもしれないが・・・

人生は勝負の連続だと言う人がいる。果たして本当か? 再チャレンジしづらい世の中であることは否定しない。だが一度負けたら終わりではない。何度負けても、最後に笑えれば、それでいいじゃないか!

常に勝ち負けばかり意識して、負けない勝負ばかり挑む人よりも、負けても負けても這い上がってくる雑草魂を持った人間のほうが何百倍も魅力的な気がする。そのほうが人に優しくなれるし、相手の人間を思いやれる人間になっている気がする。

自分中心に世界が回っているのではない。自分がいて、他人がいるのでもない。生きることが、どういうことなのか。そこを理解していれば、自ずと「感謝」の気持ちが生まれてくるはずだ。「ありがとう」以上の感謝の言葉が言える人間になろう。
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2009年03月06日

手と手を合わせて 指合わせ

「楽しみにしているんですから更新してください」と急かされ1ヶ月ぶりの更新。忙しいのもあるが、取り立てて書くべきこともなかったので。

昨年末、母親の脳に5センチほどの腫瘍が見つかった。12時間にも及ぶ大手術を経て来週退院する。還暦を迎えた人間なのだから、あちこち綻び始めるのも無理はない。しかし、そこまで進行する前に、なぜ気づいてあげられなかったのか。心から申し訳なく思う。

これまでの身勝手さに負い目を感じながら足しげく病院へ通った。「そんなに頻繁に来なくていい」と私を気遣う母。術後の痛みをこらえて懸命に会話しようとする。親が吾が子を思う気持ち。マリアナ海溝よりも深いとツクヅク実感させたれた。

あなたにとって本当に大切なものは何ですか?
あなたが、どうしても失いたくないものは何ですか?
あなたが、本気で愛したいと思うものは何ですか?

それを守るために、どこまで自分を犠牲にできるのか。自分の命と引き換えにしてでも手に入れたいと思うものは何なのか。それを見つけられたとき、人は心の底から幸せを感じられる。生きていてよかったと思えるはずだ。

金じゃない。ましてやブランド品でも装飾品でもない。地位、名誉、肩書きでもない。それが何であるかは、人それぞれだろう。ただ死ぬ気で守りたいものや手に入れたいものがあれば、どんな苦労も厭わないはずだ。

今の政治家には、それが感じられない。いや政治家だけでなく、ほとんどの国民が忘れてしまっている。敗戦直後の日本には物がなかった。金銭的にも豊かでなかった。便利さを享受できる道具も、ほとんどなかった。

それでも幸せだと思っていた人は、今よりも遥かに大勢いたことだろう。この疲弊した社会を変えられるのは・・・あなただけじゃない。私ひとりでもない。みんなが1つになることで可能になるのだ。

Be Together !
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2009年02月02日

漢字が読めなくて悪いか!

麻生太郎首相が、またもや漢字を読み間違えた。さらに中川昭一財務大臣は26カ所もの読み間違えをした。

そのことを、勝ち誇ったかのように報じるニュース番組。ガキのいじめじゃあるまいし、あまりにも低俗すぎる。それに便乗して漢字の本を続々と発行する出版社も情けない。売れているのが便乗本・啓発本・コミック・携帯小説ばかりじゃ売り上げダウンも止むを得ない。

さらに押し紙を販売所に押しつけ水増しで購買部数を発表する新聞社。商品の質を確かめもせずに、売れるためなら何でもしてしまう広告代理店。果たしてマスコミは、それでいいのだろうか。昨年は羞恥心という3人組ユニットがヒットしたが、羞恥心の欠片もないのが、今のマスコミ人である。

年収1500万円以上もらいながら、派遣がどうの、ワークシェアリングがどうのと騒ぎ立てる。ちょっと前まで、あれだけ大騒ぎしていたニート問題は、どうなってしまったのか。結局、国民感情を煽っているにすぎないのではないか。

自分たちで騒ぎを大きくし、世間が騒ぎ始めると、そんな大したことじゃないよと素知らぬ顔をする。こういったマッチポンプ(マッチで火をつけ、ポンプで消火活動を行う)は、何も今に始まったことではないが。

数年前、NHK大津支局の記者が、自分で放火しておきながら第一発見者を装い消火活動に当たるという事件があった。今のマスコミがやっていることは、まさにそれと同じだ。

マスコミ従事者に告ぐ。他人の揚げ足を取っている暇があったら、自分の足下を見直してみては、いかがか。

少なくとも他人の家に上がるときは靴を脱ぐべきである。人の心に土足で踏み入り、勝手気ままに蹴散らかすのは人間として、どうかと思うのだが。
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2009年01月20日

このままでいいのか、テレビ制作!

1月20日の深夜にフジテレビで就職の神様2009という番組が放送された。就職活動を間近に控えた学生であれば、見られた方も多いだろう。

はっきり言って、茶番! その一言に尽きる番組内容だった。

就職クイズによってマニュアルを叩き込ませ、リクナビ編集長と我究館館長が上から目線でダメだしをする。学生をバカにしているとか思えない作り。見ていて不愉快だった。

そこまで偉そうに言うんだったら、自分が手本を見せてみろ!と言いたくなった。

そして何よりも問題ありと感じたのは、出演している芸人やフジテレビアナウンサーのイメージアップにはつながっても、まったく学生のためにならない番組だったと言うことである。

最近、テレビがつまらなくなった。よく聞く言葉だが、そろそろ真剣に考えないと視聴者から見放される日も、そう遠くはないだろう。
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飲み会は最後までいるのが常識だ

1月17日に行なわれた「ますこみ就職のめるまが」のオフ会に参加した。発行人のわっちさんと東北放送アナウンサーの三橋さんの計らいにより見事に実現した。まずは、お二人に心よりお礼申し上げたい。

1次会、2次会は20名強が参加していたのだが、終電の時刻とともに1人、2人と帰り、最後はTNSのプチ新年会になってしまった。そして朝まで楽しく語らい、無事お開きとなった。

そこで思ったことがある。結局、TNS受講生がマスコミ内定を独占してしまうには訳がある。マスコミを目指しているのに、諸先輩のありがたい話よりも終電の時間を優先するようでは、内定などもらえなくて当たり前ではないか。

その日のうちに礼儀正しく家に帰ることが、そんなに大事なことなのか。徹夜で仕事することもあるマスコミ業界に、そんな人がどうして入れようか。「明日、仕事だから」と帰ろうとする先輩を引き止めて話を聞くぐらいの姿勢がなくて、どうする。

ただ、1つありがたいなと思ったこともある。周りがそんな人たちばかりならば、TNS生は何も恐れることは無い。普段の実力を出し切れば間違いなく内定がもらえる。なぜならば君たちは、そんなヤワではないからだ。

もうすぐ締め切りのエントリーシートが溜まってきているころだろう。だが、そんなことで怖気づいていたら、内定など遠い未来の話だ。徹夜してでもガッとしあげ、街に繰り出そうではないか。
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2009年01月16日

考える習慣を身に着けよう

自己啓発本の多くには致命的な欠点があると思う。こたえがカンタンすぎて、ハッキリしすぎていることだ。(中略)目の前に解答がぶらさがっている場合、自分の頭ではめったに考えることをしなくなるものだ。

これは、今週発行のR25に作家の石田衣良さんが寄稿されている文章の一部である。

今から、ちょうど10年前。私も同じことに気づき、就職マニュアル本などの自己啓発本を一切出版しないことに決めた。それまで14冊もの、その手の本を出していた自分を愚かだと思った。さらに授業内でも安易に答えは教えないと心に誓った。

一般的に予備校や塾に求めるものはノウハウ、マニュアル、テクニック、情報だ。塾側は、それと引き換えに受講料を手にする。正解がはっきりと決まっている高校受験、大学受験、資格試験ならば、それもありだろう。しかし、正答の無い就職試験において、それはいかがなものだろうか?

たとえば雨が降っている日に傘を持っていなかったら、どうするか?

近くのコンビニでビニール傘を買う。正解は、それだけではない。雨が止むまで待つ。濡れない場所まで走る。雨の気持ちよさを楽しむ。ダンボールなどを傘代わりにする。答えは無数に存在する。個人的には好みのタイプの異性の傘に入れてもらい、その場で仲良くなるというのがいいと思うが(笑)

最近は楽して正解を求めようとする人が多い。その結果、考えることを怠り、脳の筋肉が硬直してしまっている。だから面白いことも考えられないし、他人と違った発想も出てこないのだ。そんな人間がマスコミに入っても通用するはずがない。

ぼくは啓発本の著者が実際に啓発に満ち足りた生活を送っているとは到底思えない。

石田さんは、こうも書いている。私も同感だ。自分ができもしないことを、さも正解であるかのように書いている啓発本なんて読むに値しない。そんなものに金を使うぐらいなら、自分磨きに回そう。本を読んでわかった気になるのではなく、実際に行動してみて、自分の肌で感じ取ろう。
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2009年01月02日

新春のご挨拶

あっ! はっぴぃ〜 はっぴぃ〜 にゅ〜 いやぁ〜

2009年 本日より始動(指導?)開始! 世間は、まだ正月気分。でもでもでもでも、そんなの関係ねぇ〜(古い!) 一刻も早く働きたい。だって働くのは楽しいから・・・

もうすぐ仕事・・・5日からだったり、4月からだったり、来年からだったり、それは人によるだろうが。嫌だな〜、このままずっと休みだったらいいのに。なんてことを思っている人も多いだろう。

なんで? どうして? 働きたくない理由は何?

仕事が自分に合わない。上司と馬が合わない。職場の雰囲気が暗い。もっと学生でいたい。理由は人それぞれだろうが、そんなに嫌なら、働くの辞めれば。そうしたら生きていけない・・・そんなの知らないよ。

不況の煽りを受けて不当解雇されている人や、働きたくても働かせてくれる場所がない人だっているんだから。仕事があるだけでもマシじゃない? えっ? ネガティブ発言? だったら自分で仕事を作り出せばいいじゃない! それができないんだったら偉そうなことを言うのは辞めなよ。

雇ってくれる会社があるってこと。自分に任せてくれる仕事があるってこと。自分を必要としてくれる人がいるってこと。それって素晴らしいことじゃないの。にもかかわらず文句言うんだったら、全部自分でやればいいじゃない!


な〜んて、のっけから挑発的な発言のオンパレード。それに去年までと口調も違っている。どうしたの?って、どうもしていないよ。ただ世界的な同時不況に陥っている現在、お先真っ暗と言っていてもしかたがないでしょ!

何かの漫画で「未来は自分の手の中にある」なんていう台詞があったけど、自分で切り拓こうとしなければ何も変わらないんだよ。誰かが何かしてくれるのを待っていても、悪戯に時間が過ぎていくだけ。ならば自分から動こうよ。立ち上がろうよ。

私は、今年も攻めの姿勢で行くよ。面白いこと、いっぱいしていくよ。若いヤツには負けられない。いや、気持ちは間違いなく私のほうが若いはず。ガラスの10代、永遠の20代、見た目は30代・・・全員内定、全力内定。やるっきゃない!

今年も今まで同様、よろしくお願いしま〜す!
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2008年11月02日

灯は小さくてもあったかい

10月31日をもって閉店した店が九段下にある。そこの店主とは誕生日が同じだということもあり、6年来のつきあいである。食堂代わりとして、打ち上げの場として、懇親会の場として、幾度となく利用させていただいた。

20人も入れば一杯になってしまうこじんまりとした一室。そこでは様々なドラマが繰り広げられた。初対面の人間が意気投合し親交が深まったり、酔っ払った学生が帰れなくなり泊めていただいたり、ドンちゃん騒ぎをして近隣の方に迷惑をかけたり、愛が生まれたりもした。

何をしても許された寛大なお店がなくなってしまうことは、肉親を1人失くす感覚に匹敵する。栄枯盛衰という言葉があるが、時代の流れには逆らえないことを身をもって実感させられた。ただ一旦閉店することにはなったが、完全に無くなったわけではないと信じている。またいつか違う場所で再開されることを願っている。

物には始まりがあれば終わりもある。それは避けられないことだ。しかし完全なる終止符と休止符は違う。一度消してしまった火を再点火することは難しいが、弱火にしたものを強火にするには、さほど労力を要しない。

人生も同じである。自分の中にある火を消してしまったら、それまでだ。完全燃焼という言葉があるが、それは火を消してしまうことではない。燃えきってしまったとしても、弱い火種はその人の中にくすぶって残っている。その灯(ともしび)を完全に吹き消してしまわない限り、人間は何度もやり直せる。立ち直れる。

何度失敗したって、ミスしたって、諦めない限り終わりじゃない。成功することだけがすべてではない。たとえ失敗の連続だったとしても、そこから得るものや学ぶものがあれば、それは完全なる失敗とは言い切れないはずだ。

灯は必ずしも大きくなければならない必要は無い。どれだけ小さくても温かければ、青白い炎よりも価値があるはずだ。ひとつの火(1人の力)は小さくても、それが集まれば大きな火(巨大な力)になれる。人間は自分ひとりで生きているわけではない。そのことを忘れてはいけないだろう。

つくしの店長、おつかれさま。あなたの灯は、まだ消えていない。そのことは誰よりも私が一番よく知っているよ。
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2008年10月02日

偉大な大先輩を偲ぶ

先月はじめ、東京アナウンスセミナーの永井譲治さんが心筋梗塞で他界した。53歳の若さだった。お悔やみを申し上げるとともに、24年間のご指導に心から感謝したい。面識があるわけでもないので書くことを躊躇った。しかし同業者として、また密かにお慕いしていた者の1人として、あえて書かせていただく。

彼の早すぎる死を悼む卒業生の声を聞くと、彼の偉大さがひしひしと伝わってくる。と同時に、今後の東京アカデミーの将来が危ぶまれてしかたがない。彼の人柄に惹かれて人が集まってきていただけに、近いうちに閉鎖なんてことがなければいいのだが・・・

昨日、清原和博選手の引退セレモニーが行なわれた。西武ライオンズ11年、巨人ジャイアンツ9年、オリックスバッファローズ3年と、あしかけ23年間、第一線でがんばってきた熱き男だ。永井譲治さんと清原和博選手の2人に同じようなものを感じる。自分の限界まで挑戦するパワーだ。

永井さんは通院を繰り返しながらも生徒の指導にあたり、清原選手はリハビリをしながらファンに雄姿を見せ続けた。そのことは皆に多大なる勇気を与え、努力することの大切さを教えたに違いない。

永井さんは希望していた職業(アナウンサー)に就けなかった。清原選手は希望していた球団(ジャイアンツ)に11年間入団できなかった。一度は夢破れたかもしれない。が、それを感じさせないだけの活躍をしたと思う。

夢は諦めなければ叶う。必ずしも、そう言い切れないが、挫折しても、それを乗り越えれば、きっと人生は開けてくる。そう教えてくれた2人に心から感謝したい。

永井譲治さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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